中野区の野方WIZ・ギャラリー室で開催されている「戦争と子ども」写真展の会場で17日午前、満蒙開拓団の「語り部」のお二人から戦中から戦後にかけての開拓団にかかわる貴重な体験談をお聞きしました。
「語り部」のお二人は、長野県在住の中島多鶴さん(下伊那郡泰阜村)と久保田諌さん(下伊那郡豊丘村)。お二人とも、今年4月に長野県下伊那郡阿智村に開設された「満蒙開拓平和記念館」を中心に、開拓団の体験を通して戦争の悲惨さを伝える活動に取り組んでいます。
満蒙開拓団については戦時中、27万人もの日本人が各地から参加し、長野県から最も多くの人が大陸に渡りました。敗戦とともに、日本への引き上げの途中、数多くの人が命を落とすなど筆舌に尽くせぬ苦難に見舞われました。
中島多鶴さんは、終戦間際にソ連兵がやって来たとの報を受けて余儀なくされた逃避行のなかで、開拓団の人たちが大きな川を渡るときに小さな子どもたちを川に流してしまったことなど、想像を絶する惨状を語り、「命が最も大事。戦争は絶対にしてはならない。それを若い人たちに伝えたい」と訴えました。
久保田諌さんは、同じような「逃避行」のなかで、一緒にいた73人全員が自決した場所で、若い青年と石でお互いになぐり合って死のうとしたものの、数時間後、スコールで目が覚め、以来、昭和23年に日本の地を踏むまでの苦難の日々を語りました。
中島さん、久保田さんは、「満蒙開拓平和記念館」の設立に奔走してきたメンバーであり、「語らねばならないことは、もっともっとたくさんあり、一人でも多くの人にそれを伝えていきたい」と頑張っています。
戦争の悲惨さを若い世代に語り継いでいくことは、これからますます重要になります。高倉良生も「語り部」の皆様や今回の写真展を企画・開催した皆様と連携して、平和な日本、戦争のない世界を築いていくため、頑張ってまいります。